おたふくわた復活プロジェクト

30.野原氏と作るおたふくわた

不況の影響は寝具業界にも直撃しています。かつては人気商品であった羽毛ふとんも国内での普及率は100%近くになってしまい、多機能寝具も各企業とも企画を立てて色々と頑張っていますが革新的なものはあまり見当たりません。企業のトップ達は「これから何を売っていいのだろうか」と悩んでいるのが現実です。
弊社が寝具業をやめてから6年になります。木綿ふとんをもう一度売りたいと考えるのは確かに時代の逆を行っているのかもしれません。それでも私はかつて日本中が使っていたシンプルな寝具である「わた」にこだわっています。こんなに優しい天然繊維はないと思っています。私がお世話になっている野原氏もそう考えています。氏は会うたびに「羽毛ふとんは確かに軽いですし便利です。でも木綿の良さにはかなわないと思います。私はね木綿が元々好きな人は更に大事にしていきますが羽毛しか知らない人たちに木綿を教えてあげたいんです。振り向かせたいんです」と話されます。
野原氏は父親の後を継いで30年近く経ちますがお店も順調に経営されていて、また今でも木綿ふとんの注文が多いのには本当に頭が上がりません。
野原氏はお客様を大事にされそして親身になって話をします。「どうやって寝ていらっしゃるのですか」「持病は何かありますか」と寝具を買いにくるお客様のソリューション活動を懸命に行っています。そして個人の環境や体型に合わせた木綿ふとんを作ります。「フローリングのお客様もいれば畳のお客様もいます。同じ木綿でも入れ方や量が変わるのは当然です」と氏は言います。そして「一番大事なのは購入前ではなくて購入後です。アフターケアをしなければお客様は離れていきます。目安が分かるように打ち直しの時期をラベルに貼ることや。購入後の綿の調節や睡眠の悩みなどを聞いたりしています。でもおかげさまで木綿ふとんに関するクレームはこの30年で1、2件ぐらいしかありません。クレームといっても大げさなものではなく綿の入れ方や打ち直しで解決していますが」 と氏は自信に満ちた顔で話されました。 私は自分がふとんを売るとき考えていたスタイルが野原氏に共通していることや氏が作った木綿ふとんは本当に素晴らしいものであることを考えると関東では野原氏が自分にとって一番理想的な職人さんであるように思っています。また野原氏は「わた」の研究や普及に対するモチベーションが非常に高いことが私の心に響いてきます。この辺りは名古屋の丹羽氏と共通している部分ではないかと思いました。現に丹羽氏は以前「関東でふとんを作ってもらうなら野原氏が一番いいです」と話していました。技術が素晴らしいというだけでなく、綿に対する愛着心、そして寝具に対する研究熱心さ、業界を活性化させていこうという向上心などが丹羽氏にも伝わっていたのだと思います。
私はおたふくわたの木綿ふとんを野原氏に作ってもらおうと考えています。前回も書きましたが弊社はかつてのように工場や大量の職人さんを雇う体力もないしまたそれをあえてしようとは思いません。天保時代の創業のように私だけで小さいふとん屋さんみたいな形で復活しようと思います。ただ、売る以上は最高の綿を最高の職人さんで作っていただいて、そしてお客様に親身になって対応していくスタイルで復活しようと思います。だから私は野原氏に「おたふくわた」のふとんを協力してもらいたいと思っています。 綿に対する愛情が深い人で作るふとんは絶対に違いがあります。

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左が野原氏、右が私です。
野原氏におたふくわたのふとん復活を
手伝ってもらいたいと思っています。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2003年5月に執筆されたものです

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