九代目のひとりごと

24.福岡で感動した宗像の町屋造り 夢はおたふくわたのおふとん屋さん!?

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「おたふくわたパンフレット」の表紙を書いてくださり、さらに1年半前に「おたふくわた復活プロジェクト」の最終回を飾った福岡で大活躍中の童画家・田中時彦氏に福岡県宗像市を案内していただいた。
私が行こうと思ったきっかけはおたふくわたのパンフレットの表紙に出ている景色を見た時、田中氏から「この家はまだ残っているんですよ。さらに、おたふくわたの看板も残っているんです。」と聞き、宗像にはまだこういった古風な町屋などが残っているんだと興味を持ったからだ。福岡出身の田中氏自身もこの町に魅了され家族共々、宗像市に越してきたという。
宗像市には数多くの山があるのだが、その山々の先には玄海があり昔はアジア諸国との物資や文化の交流が盛んだったという。物資などが多く入る土地柄の影響で権力があった豪族が多くこの町に住み、今でも豪族の古墳らしきものがいくつも残っている。私は恥ずかしながら生まれて初めて古墳を見た。権力の象徴として大きくそびえたつ立派な形をしたその「お墓」に私はいたく感激してしまった。
今でもこうして自然とうまく調和して古墳というよりは小さい山という形で人々を見守り続けているのだろう。私はその古墳にかなりはまってしまい何枚も写真を撮り続けた。
宗像神社や港などを周遊したあとはパンフレットのモデルとなった家も見にいった。しかし残念ながらきれいに改修されておりおたふくわたの看板もなくなっていた。裏側には自社の看板と思われる「日本一の」だけが残っていたのを見れたのが幸いだった。
唐津街道を通り赤間という町を歩いた。このあたりはかつて宿場や商店がかつて多く存在していた。今でもこのあたりには屋根が立派な町屋が当時のまま多く残されている。出光興産の創業者・出光佐三氏の生家も残されている。町の人々はこういった町屋を残そうと日々尽力されている。
例えば町屋を持つ家主(他にいくつか土地を持っているのだろうが)は空き家になったその家を取り壊さずに他人に貸す事も多いという。このあたりは教育大学もあり学生が多い影響もあるのだろうが、若者も入りやすそうな喫茶店やギャラリーなどが町屋をうまく改修して多く存在している。
レトロな建物の中に入ると、店内も当時のままになっており、人々が暮らしてきた匂いを感じることが出来る。私が入ったその喫茶店も内部はそのままに残されており、近所で営んでいる木材屋さんから入手した一枚板の立派な机があり、おしゃれなジャズが掛かっていた。そこで頂いた抹茶ミルクは最高だった。しばらく座っているとなぜか「懐かしさ」を感じた。祖父の家の縁側で風鈴の音を聞きながら「すいか」や「かき氷」を食べる幼少の頃を鮮明に思い出した。
他には個性的な天然染めの衣類を展示しているギャラリーや前述の木材、陶器などが飾られている店がいくつもあった。原宿竹下通りより何百倍もおしゃれに感じた。
こういった町屋には冷暖房がない。自然に任せている。歴史を感じる古びた畳の上にしばらく座り込むとガタガタいいながら木枠のガラス戸の間から心地よい風が入ってくる。
昔の人々は風の入る場所も把握して設計をしたのだろう。外を歩くと風はあまり吹いていなかった。
現在、田中氏をはじめ多くの宗像に住む方々がこういった町屋の保存会設立に向けて動きだしているという。部外者の私だが協力を惜しまないと話した。
夢物語だがおたふくわたもこういった町屋を借りてふとん屋さんが出来たらいいなあと思った。店内に数枚のふとんを置き、2階では綿の講演会などしたらさぞ楽しいだろうと想像を膨らませた。
宗像での散策は非都会的な空間を楽しめた。移動中にはおたふくわたの看板も見かけた。自社の看板とはいえ、この看板を見かけるとどこに行っても私を守ってくださっているような感覚になる。
田中様一日有難うございました。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年8月に執筆されたものです

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