九代目言聞録

16.監督最高!~「神様がくれた時間」映画監督・岡本喜八さんの幸せな散り方~

鬼才・岡本喜八映画監督夫婦の番組を観た
5月のある金曜日に家内と子供たちが早く寝てしまったので、久しぶりに一人でテレビを観た。チャンネルをNHKに廻すと、がんで2年前に亡くなった映画監督・岡本喜八さんとそれを支えてきた妻・みね子さんの番組「神様がくれた時間 ~岡本喜八と妻 がん告知からの300日~」をしていた。僕は結構、映画が好きで結婚前はそれこそ良く映画館に足を運んでいたし(試写会も友人と良く行っていた)週末になると自宅でケーブルテレビの映画チャンネルを1日中見ていたなんてこともしばしあった。(ちなみに僕の好きな映画はロバートデニーロ主演の「タクシードライバー」エディーマーフィーの「星の王子様NYへ行く」そして白黒映画のジャックレモン主演の「アパートの鍵 貸します」である。)
そういったわけで岡本喜八さんの作品も映画チャンネルで観たことがあるので、興味があってチャンネルをそこで止めた。
喜八さんはがんを宣告されてから「病院なんかで死ぬより自宅で死にたい」という希望を持ち、妻であるみね子さんは在宅介護を決心したのだが番組はその300日間を再現ドラマとみね子さんのインタビューとの交互で伝えていった。妻のみね子さんが早稲田大学在学中のときに当時新人の映画監督であった喜八さんを取材したのが出会いのはじめなのだが、そのあと喜八さんの鬼才ぶりはなかなか映画会社にすんなり受け入れてもらえずプロデューサーなった妻と二人で貧しい生活を続けながら自宅を撮影場所などに使い映画を作っていった。徐々に作品の評価が高まると戦争映画や時代劇などさまざまなジャンルで鬼才ぶりが発揮され、それが「独立愚連隊」、「日本のいちばん長い日」そして「大誘拐 RAINBOW KIDS」では日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞したり多くの作品を生み出した。

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喜八さん夫妻は神奈川県川崎市多摩区川生田の赤い個性的な屋根の家に住む。映画を撮り続けた2人にとってこの家にも多くの人たちが出入りしたので闘病してから初めてと思うぐらい2人の時間が出来たとみね子さんは話していた。みね子さんは喜八さんがいつでも撮影に行けるようにと起床後はトレードマークであるサングラスをかけさせ黒いセーターとズボンに着替え1日を過ごさせていた。しかし喜八さんの治療も芳しくなく症状はどんどん悪化し、ある日着替え終わった喜八さんは突然みね子さんの顔をじっと見つめて「どちらさんですか」と言い、みね子さんはその時大きなショック状態になり台所で泣いたという。
しかしいつまでも悲しむだけでは答えは出ず愛しの夫と決めた在宅介護でどうしたら夫の尊厳を保ててどう安らかに死を迎えられるかということを考えたという。介護から逃げずに前向きに痴呆になった夫と過ごすという精神力は並大抵ではない終わりのないトンネルを歩くのと同じだ。もう感動の嵐である。みね子さんは少しでも延命できるような生活や食事を考え、次回作になる予定だった映画の台本の読み合わせを毎日繰り返したという。

喜八さんが世を去る数日前にいった台詞
ある日、娘が介護の手伝いに来たとき、みね子さんは愛犬の散歩に出かけた。そして喜八さんが娘に(当然娘という判断は出来ていない)突然「あの~」と話しかけてきた。娘さんが「どうしたの?」と聞くと「僕には好きな人がいるんだよ」と話しだす。娘は台所から出て父の横に座り「へえ?誰が好きなの?」と問いかけると、ゆっくりとたばこをふかしながら「今ね、犬の散歩に行っている人がいるんだけどその人のことが好きなんだ。かわいくてとっても素敵な人なんだよ」と喜八さんは照れながら話したという。この台詞に娘は必死に涙をこらえながら笑顔で「良かったね。きっと相手もあなたのことを好きだと思うな」と応えたという。
そして2005年2月19日、喜八さんが81歳の誕生日を迎えた2日後に好きになったみね子さんの肩に体を寄せてタバコを一服たっぷり吸いこみ、その腕に抱かれて永遠の眠りについたという。映画のようなシーンだ。
再現ドラマの岡本喜八役は本田博太郎さんでみね子役は演じた大谷直子さん。ともに喜八監督がかつての映画作品にも多く登場しているので最高の演技力だった。

話が逸れるが僕の家内は結婚する前に「夫婦って好きとか嫌いではなく添い遂げるということが1番大事よ」と僕にいつも話していた。「添い遂げること」がどんなに大変でそして素晴らしいことか・・・この番組を見て4年前に言われたその言葉を思い出した。
みね子さんの支えなくして喜八さんは映画監督人生を送れなかったに違いないし喜八さんもまたみね子さんに絶大な信頼を寄せていた。だからこそ天は喜八さんに美しい散り方をあげたんだと思う。人間どこで人生を終えてしまうか分からないのに妻に抱かれながら人生を終われるなんて喜八さん自身が名シーンを作ってしまった。
喜八さんが亡くなったあとしばらく外に出れなかったがようやく人前で話すことが出来るようになり今回の取材も受けることになったという。
恋愛だろうがお見合いだろうが出来ちゃった婚だろうが・・離婚率も増えた昨今、僕たちの世代がこの素晴らしい夫婦のように添い遂げることが出来るか・・・この番組で多くの事を考えさせられた。
最後にみね子さんの台詞を紹介したい
「映画しか頭にない人だったから、最後の何カ月は神様が2人のためにくれた時間だと思います。がんのおかげで新婚さんをしている気分でした」
次回は「職人塾はどうよ?」について書きます。お楽しみに!

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2007年5月に執筆されたものです

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