九代目言聞録

13.「僕の掃除論」~毎日僕が超元気な理由は早朝の掃除である~

毎朝「掃除」をしている
「原田さんはいつも元気ですね」と周りから良く言われる。この「超元気」は自分だけでなく家族や社員、さらにはお客様や商談先に対しても元気を与えコミュニケーションがより円滑になったりするのだ。ただ一方では僕のような人間を苦手とする人もいてうざったいと思われることもある・・しかしそれぐらい僕は毎日ほぼ同じハイテンションであるということなのだ。周りにどう評価されようが僕には元気しかとりえがないし自分が超元気でなければ会社も社員もどんどん暗くなっていくと思っている。社長は会社の名刺だと思うから自分が気に入らないからとそのときの気分で機嫌が変わることは言語道断だしそういう時こと怒りを抑えて超元気でいることがまた一つ僕をおりこうにしてくれるような気がする。
偉そうに書ける立場ではないが僕にとって経営者とは「リスク」を背負うことが一番重要な仕事と考えている。売上、資金繰り、テナントが快適に過ごせる環境作り、危機管理、品質管理、取引先との信頼、融資での個人保証、いずれも失敗は許されないしすれば全ては社長の責任である。しかしこれらのリスクを背負えるには「頭」も大事だが何よりもそれらを受けて対処できるだけの「超元気」が肝要だと感じる。確かに具合が悪いときもあるし、物事にイライラすることもある。それでも元気なのは、ある日課を端々とこなしているからだと思う。実は僕の「超元気」の源は4年半出張以外毎朝欠かさずしている「掃除」にあるのだ。今では掃除をしなれば1日を元気に過ごせないぐらい超重要な日課となっている。前夜遅くても微熱であっても雨が降っていても毎朝「掃除」をしている。

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僕が使用している
ほうきとちり取り。
我が家で15年以上経つが
ほうきのこの曲がり具合が
案外葉を拾いやすい

そのきっかけは結婚して間もないころ家内の実家に泊まりその翌朝、江戸時代から続く老舗の呉服店を経営する義父に早朝起こされ1本のほうきとちり取りを渡され外に出たことにはじまる。義父の住まいは広大な敷地に自宅と店を構えているのだが、従業員も朝早く来て掃除をしている。僕もそれに従い掃除をしてみた。早朝しか聞こえないうぐいすの声、都会でも味わえるおいしい空気、落ち葉が消えきれいになっていく道や庭の景色、そして程よく汗をかき達成感を味わえる。さらに掃除を終えた後に食べた朝食のうまさは今でも鮮明に覚えている!そして「一生懸命掃除する浩太郎君の姿を見て人間性が分かったよ」といわれて僕は義父の人間としての深みもその時再確認したのだ。
単純明快の僕は翌朝から自宅で掃除をはじめた。6時に起きて家内の実家に比べ物にならない狭い敷地だが掃除をはじめた。家のゴミ出しをしてまずは自宅周辺の大きい落ち葉を手で拾い、次に小さいゴミや葉をほうきで掃く。そしてホースで水を撒き門扉などにはじいた水滴や雑巾で拭き、ついでに外灯やポスト、玄関扉も拭く。時間があれば道脇や庭に生えているドクダミなどの雑草を取る。雨上がりの日は葉がこびりつきなかなか取れないのでホースでふっと葉を浮かして拾い上げる。前日使用した場合は車も簡単に洗車する。週末も大体同じ時間に起きて自宅まわりの掃除はもちろん、濡れたものと乾いた2枚の雑巾を持ってベランダの手すりや窓を拭き、洗面所やトイレも掃除する。風呂掃除、掃除機もかける。平日は家内がしているが僕のほうがうまいと自負している。

生きている葉と元気のない葉があることが分かる
掃除は毎朝40分かかる。風が強いときは1時間以上かかることもある。6時15分からはじめるから7時前には終えている。毎朝掃除していると散歩をしている人とも顔見知りなので挨拶することが日課にもなっている。お互い「おはようございます」と声をかけあうのだが空気の澄んでいる時間帯の第一声も元気の源になるし、互いに掃除や散歩を継続していることでいつの間にか独特の信頼感が出来て、日中に偶然お会いするときがあると今まで挨拶しかしていないのに、親近感を持って会話が進むからこんな出会いもまた嬉しい。
それに掃除をしていると色々な事に気がつく。例えば落ち葉には生きている葉と元気のない葉があることが分かる。例えば落ちたての葉はちり取りにいれるのがもったいないぐらい葉色が美しくゆらりゆらりとしている。そんなときはその葉をオブジェと考えて拾わないときがある。また大した風もないのに逃げまくる元気な葉もある。そういうときは無理に追いかけないで待ってみる。去ってしまうこともあるしすんなり拾えてしまうこともある。ああ人生に似ていると考えながら掃除をしていると時間があっという間に経ってしまう。元気のない葉は色もくすんでいてびくともしない。これはもうゴミである。
前日から悩み事を抱えながら掃除をし、水を撒き終わり早朝の光に照らされるゴミ一つない道を見ているといつのまにか心が浄化していることがある。悩みと落ち葉がいっしょにちり取りの中へ入っていくのだ。僕にとっての掃除は無言の授業である。そして汗も程よくかくし朝ごはんもおいしく食べれる。このおかげで9時から打ち合わせや面接、勉強会などパワー全開でこなせる。

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「掃除道」

そんなあるとき書店で「掃除道」という本を見つけた。掃除を実践することにより家庭・企業・学校・社会がどう変わったかを紹介する自動車関連商品を販売するイエローハット創業者の鍵山 秀三郎著者の本である。著者は「自分には大した能力がないので掃除からはじめた」と書いている。自宅はもちろん会社の周辺や社内のトイレなど毎朝一人で掃除をしていた。するとその姿を近所の人が見て感激し会社では社員がその姿を見て手伝いをはじめたという。著者は本の中で僕が感じていた朝の掃除の出来事も同じように経験しているし(落ち葉の姿についても同じような事を書いている)優良企業に変身した製造メーカー、退学者も激減した高校、犯罪件数が半減した新宿駅周辺。全て掃除のおかげだと説いている。

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息子の掃除する姿は
感動である

「荒んだ人の心を落ち着かせ、穏やかにするためには、掃除をしてきれいにすることがもっとも効果的である」と語りさらに「人間の1番大切なことは謙虚であること。掃除をするときは必ず下を向いて行います。」と書いている。よし!掃除を続けることで元気だけでなく謙虚さをもてるように僕も心がけよう。下を向いて掃除をすれば謙虚になれるとは素晴らしい考えだ。
 やはり40年以上掃除を続けている人は言葉の重みが違う。これからも僕は掃除を続けていくだろう。朝起きて息子と掃除をすることもある。3歳の息子がしゃがんで葉を拾う姿はきっといつか彼自身の人生に役に立つだろうと思う。というわけで元気でいるのは掃除をしているからだと僕は断言できるのだ。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2007年1月に執筆されたものです

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