九代目言聞録

7.島田洋七さんとの「がばい出会い!」 ~洋七さんとの仕事は楽しくやっていけそうだ~

まずは動いてみること。
「縁」なんていつどこではじまるか分からない。だから人生って面白いんだろうなあ。僕が島田洋七さんと出会ったのも突然の「縁」だった。もともと映画「佐賀のがばいばあちゃん」で、おたふくわたの看板を九州のイメージとして使ってくれた事がきっかけで映画監督である倉内均さんとお会いしたのが始まりだった。もちろん洋七さんと会うなんて簡単に出来ることじゃないとは分かっていたし、倉内監督も「機会があれば」と話してくださってはいたが、もしこちらから会いたいと言えば「ギャラいくらです。」なんていう世界なんだろうなあ・・と考えていた。
 でもおたふくわたを九州のイメージとして使うと決めたのは洋七さんの意見が入っていたに違いないと僕は思っていた。原作者の意向を無視して看板など選定するはずがない。だから、会うことは無理でもお礼だけ言いたい。なので僕はとりあえず「動いてみた」それは・・・洋七さんのブログを見つけてそこにお礼を書いたのだ。 あれこれ悩むより動くことだ。だって小池百合子環境大臣(当時)にふとんの環境問題の事でメールしたときも秘書官を通じてきちんとアクションが返ってきた。そのおかげで現在も環境省やチームマイナス6%と仕事を進めている。
 それから何ヶ月だろう。突然、洋七さんの関連会社を運営している舛田社長から直接電話がかかってきた。舛田社長いわくブログのコメントを読んだ洋七さんが突然思い出したように「おたふくわたの人からコメント来てたなあ」という話になったらしく、社長が映画の人気も高いので一度お礼を言いたいという連絡が入った。うーんあの書き込みしてからどのぐらい経っていたか分からないけどなんだか面白い展開じゃないかって興奮してきた。とにかくなんでもダメもとで動くことだなと感じだ。
 舛田社長は撮影におたふくわたの看板を使ったことに御礼を言ってくださり、その後に洋七さんがおたふくわたを懐かしんでいるという話を教えてくれた。僕は優しい口調で話す同世代の舛田社長と話しいるうちにいつものように調子に乗ってしまい、最後には「せっかくだからざぶとんでも記念で販売してみましょうか」と言ってみた。社長は目を大きくして「うん!それは面白い。ぜひ師匠に聞いてみましょう。」・・・そして僕は有言実行、早速、がばいざぶとん試作品に動き出した。久留米の問屋さんと機織元の協力で多くのサンプル生地を入手して社長さんを通じて洋七さんに生地を選んでもらうことにした。
 ある日、舛田社長から電話が掛かってきて「師匠がざぶとん企画に本腰を入れて取り組みませんか?ぜひお会いお話ししましょうということになりました」となった。下品な例えだが飲み会で目当ての子に勢いでデートに誘い、すんなりOKしてくれて驚いたような気分である。(そんな経験はないが・・・)
洋七さんと僕は両方緊張していた。
 洋七さんとの対面は大阪で実現することになった。洋七さんは吉本興業の漫才の仕事があり、僕も大阪で仕事があったのでお互い日程が合う日を選んで大阪で決まった。
 久留米絣で仕上げたざぶとんは予想以上の出来栄えだった。僕はそれを持って大阪で仕事していた洋七さんに会いに行った。かつて一世を風靡した超人気番組「オレたちひょうきん族」で笑わせてくれたあのおもしろい人と会える・・・急にそんな事を思い始めると移動の新幹線の中で急に緊張してきた。吐き気の連続である。「お前は妊婦さんか?」と心の中で一人ツッコミをしていたがなかなか緊張はおさまらなかった。

youhichi

大阪のある料理屋さんで待ち合わせしたのだが、洋七さんは約束の時間ぴったりに来た。「いやあ!どうも!どうも!」大きな声で入ってきた。テレビのままである。入ってきた瞬間、緊張と喜びが一気に起きたせいか僕はなぜか大笑いしてしまった。でも洋七さんも少し緊張しているように見えた。お互い照れ隠しのような言葉を交わしていた。

洋七さんと沢山の話をしたがこのコラムでは書ききれないのでご勘弁を。でも色々苦労してきた話をギャグを交えて平然と話すし、大声で「ビートたけしとばあちゃんにはこの先もずっと感謝し続けていくよ」と何回も話していた。この言葉には嘘はないと思う。さらに「ばあちゃんが生きていないから俺がばあちゃんの話を伝える。そしたらこの話が売れてきた。ホントばあちゃんのおかげだ。」洋七さんの正直な生き方を見ていれば周りの人が応援したくのもうなずける。
 洋七さんは試作品のざぶとんを見て「これやこれや!」と言ってざぶとんに抱きついていた。そして食事中もざぶとんをずっと抱いたまま「この柄で良かったわ!ばあちゃん久留米絣でざぶとんとふとんを夜中に作っていて・・・」と思い出話をしていた。確かに傍で見ていただけあって、ふとんやざぶとんの作り方を良く知っていた。
 握手してから3時間以上経過していた。別れ際にまた握手して最後に写真を撮ってくださった。そして小さい声で「次は博多で飲もう。博多は大好きだし、佐賀から近い。」といってタクシーに乗り込んでいった。そうか!洋七さんは確か佐賀に会社と自宅があることを思い出した。ばあちゃんビジネスに対する本気度をタクシーを見送りながら改めて感じたのだ。そういえば洋七さんは今でも漫才をする時にマイクに向かう数秒間は「ガタガタ震える」と話していた。やっぱり今日の握手もそういうことだったのかもしれない。
 がばいばあちゃんとおたふくわた・・どちらもあったかいイメージがある。だからあまり肩に力を入れすぎずマイペースに「がばいざぶとん」を販売したい。なかなかユニークなおまけもついているしぜひ大好きなおじいちゃん、おばあちゃんに買ってあげてください・・・と最後は宣伝になってしまったが洋七さんと僕の力作だと思うのでお楽しみに!

次回は「僕の片思い」について書きたいと思います。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2006年8月に執筆されたものです

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