九代目言聞録

24.ついに僕はインドへ行った!~最終回~ ~「カレー」「たくましさ」「砂」「綿畑」「違法軍団」・・・ インドはエキサイティングだ!~

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台所で料理を作るふりをする僕
「世界ウルルン滞在記」の気分(笑)

インドの家族に会えた。
お客様、取引先、友人、そして親戚など多くの方が僕の駄文コラムを読んで頂いているようで今回のインド話しについて色々とご意見を頂いた。この場を借りて御礼申し上げます。思えばこのコラムで同テーマを3回連載で書くのはめずらしい。換言すればそれぐらい僕にとってインドは衝撃的だったということだ。
ガンガナガールで憧れの綿工場、綿畑を見たその日の夜はラジェッシュさんとホテルの部屋で食事をしながら翌日の予定について相談。当初はもう1日このあたりを観光して夜行列車でジャイプールに行く予定だったが、あまり観光するほどのエリアではないのでどうしようか考えていたらラジェッシュさんが「そうだ!僕の家に来てよ!家族を紹介するよ!」と言い僕もそれに乗った。数日とはいえラジェッシュさんも家族に会いたいだろうし僕もインドの家族やその生活を覗きたかったので予定を変えて僕たちは翌朝の5時ぐらいの長距離バスで彼の家があるビガネーという地域に行くことになった。
バスがまあ想像通りのオンボロでしかも外は快晴なのになぜか全員カーテンを閉めきりただ真っ直ぐ前を向いて座っている。何だよこの空間(笑)運転手も大学生ぐらいの年令かなあ。ずいぶん若い。バス停で客を乗せて出発する度に「YO!」みたいな単語を大声出して運転していた。それはそれで妙にカッコイイ。
バスに乗ってから4時間後、ようやくビガネーのバス停につきそこからリクシャーに乗り数分後、ラジェッシュさんの家に着いた。家の前にはすでに息子さんが出迎えていた。目が大きくてラジェッシュさんに似てかわいい感じの顔、何となく品の良さを感じた。これまたかわいらしい妹も奥からゆっくり出て来たが照れくさいのか奇妙な日本人が嫌なのか挨拶したらすぐに逃げた。

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城で働く使用人達はこの上に乗り
集中力を高めさせられたとか

台所から奥様と近所に住む義理のお母さんが来ていて挨拶をする。またへんてこな僕の英語で多弁になってしまったが、会話の途切れを見計らい奥様が昼食を作ったと言うので僕とラジェッシュさんはテラスで遅めの昼食を取る。息子がボーイのように水を入れてくれたりナンを運んでくれる。妹は僕の食う姿を凝視していた。もう照れくさいなあ。
テラスの前は交通量の多い道なのだが向こうから1台の車がやってきた。近くの高級ホテルで働く義弟が遊びにやってきたのだ。彼にビガネーの街を一通り観光案内してもらった。街は狭いので数時間で見ることが出来たのがラジェッシュさんの家に戻るやいなや今度は少し離れたネズミを神として奉る教会にいった。凄いネズミの数!そしてネズミがいるその床を靴を脱いで聖堂に入らないといけないのだが所変わればで日本ではありえないネズミを見て祈りだす人も大勢いた。いやあ凄い光景だ。

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有名なねずみを奉る教会、ミルクのまわりにいるのはネズミですよ!

そして町のふとん屋さんや生地屋さんのを沢山見てまわった。ラジェッシュさんはここの店は写真を撮ってもいいだろう、ここはやめておけと言いながら案内してくれた。彼は何もこのあたりの店の主人達と知り合いなのではなく鼻を利かしてそう指示しているのだ。僕らも日本の街で怪しい人を見かけたら避けて歩くことがあるが、彼も店の雰囲気や主人の顔色を見て旅行者の僕には分からない匂いを嗅ぎながらガイドしているのだろう。

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ラジェッシュさんの家族たち

食べすぎな日本人
ビガネーでの半日観光を終え、夜は近所の奥様の実家で夕食会。義弟の家族も交じり大家族の中での夕食となった。義弟の長男は3歳。うちの息子と同い年なのだがこのとき初めてほんの一瞬、日本に帰りたくなってしまった。彼を抱きながら自分の息子を抱いている気持ちになり切なくなってしまった。しかし優しい家族の人たちと楽しいひと時を送ることが出来たので気が紛れた。インドの一般家庭の生活を見ることが出来たのでビガネーに来たのは正解だった。

家族と別れ僕は再びラジェッシュさんと夜行列車に乗る、そして翌日はジャイプールに着いてここでも観光を一通りした後、ここでも沢山の生地問屋がある道を案内してくれた。しかしインド人というのは道を聞かれても決して「分からない」とは言わない。ラジェッシュさんが道に迷ったとき歩いているインド人にあれこれ場所を尋ねても応える人全員がまったく違う方向を指している、彼らは何となくあのあたりだろうという感覚で答えているのだがよくあれで目的地に着くのだから不思議だ。

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ビガネーにあった寝具関係の商店街 ふとんの色彩が見事だ

ジャイプールの町では多くの猿や牛を見かけた。そしてあちこちの屋台でフレッシュジュースやおやつを食べたりした。あと2日で日本に帰るのだここで下痢になっても飛行機で沢山整腸剤を飲めばどうにかなるだろうと開き直り生水も気にせず飲んでいた。
最後の夜、ラジェッシュさんと大衆食堂のようなところで乾杯をした。もちろん最後もカリー、ナン、そしてタンドリーチキン。とにかく食べまくった。そしてラジェッシュさんと1週間を振り返りながら楽しい時間を過ごした。
横のテーブルにいたビジネスマン風のインド人が僕の顔を見ながらラジェッシュさんに何か言っている。彼が帰ったあとラジェッシュさんに聞いたら「彼は日本人か?こいつはなんでこんなに食うんだ!」と驚いていたというのだ。彼のほうが明らかにデブなのにその彼が見ても僕の食いっぷりは驚きだったのだろう。これも日本の恥なのか・・・?しかし僕にとってインド料理の味はぴったりだった。

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空港で別れ際に。ラジェッシュさんと僕

ニューデリーは東京だ
翌日の午後に電車に乗り数時間、いよいよ首都であるニューデリーに到着した。翌朝、タクシーで町を見て驚いた。中心部は今まで見てきた「インド」ではなくまさに「日本」の丸の内のような光景だった。移動してきた電車がタイムマシンだったのではないかと思えるほど同じインドでも全く姿形もライフスタイルも違うのだ。はとバスのようなきれいなバスが通り、イギリスの私立校のような品の良い学生が歩き、ベンツやBMWなどの高級車も数多く走り、丸の内のようなオフィス街が沢山見えた。僕は驚きを隠せなかった。しかし今までいったところもここもインドなのだ。
「インド」という国家でひとつにまとめているがやはりあの広大な面積じゃ本当はうまくまとめきれないだろう。貧富の差は激しいし若干使う言語もニュアンスも違うし、人の表情も価値観も違う。使われている土の質が違うせいなのか建物の色や作りも地域で全く違うのだ。 ニューデリーではイギリスからの独立を実現させたガンジーや同名のガンジー首相、その息子であり同じく首相になったガンジーのそれぞれの記念館も見たが彼らは皆、暗殺されているのだ。国を愛しているからこそ国を愛している者に命を奪われる難しい問題だ。
こうして1週間のインド視察旅行はエキサイトに終わった。ラジェッシュさんと空港で別れ際、僕らは数秒抱き合った。1週間、彼と寝食を共にしてきたが本当に良くしてもらった。彼とは同世代でもあり家族構成も似て。そしてお互いひょうきん者なのでなお更親近感が湧いた。彼がいなかったらインドはここまで楽しめなかったかもしれない。彼はパソコンが苦手らしく義弟からたまにメールが来て連絡をしている。友達がまた一人増えた。
ありがとう!!ラジェッシュ!

そういえばラジェッシュさんは旅行中にこんなことを言っていた。「インドはどんどん国が強くなり金持ちが増えている一方、どんどん貧しい人も増えているんだよ。この差の開きが怖いよ。お金より大切なことを僕達はもう一度学ばないといけない」
・・・そしてインドの大企業「TATA」が米国のフォードからランドローバーとジャガーを買収したというニュースは僕が帰国して2ヵ月後の事だった。
・・ちなみに日本に帰って体重計に乗ったら体重が4キロ増えていた。
次回は「妄想議員」について書きます。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2008年3月に執筆されたものです

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