九代目のひとりごと

19.日本にはもう一度「あの頃」が戻ってくるそれは市場も消費者も感じている・・・・

ふとんを復活させて1年半になった。大げさでなく当初考えていたよりかなり売れている。あまりにも売れなくて店(ホームページ)を閉じるような事態にもなるのではと考えていたから、嬉しい誤算だった。これはつまり「木綿ふとん」が好きな人が予想より多かったと言う事だろう。「どこに行っても木綿ふとんがないから良かった」「お願いですから木綿ふとんを続けていてください」という声が多い。こういう声を聞くと更に気が引き締まる。そしてこれからのモノ作りには「郷愁」だけではなく「こだわり」「故郷」「伝統」などが今後も重要になってくるのだと確信した。文明が進めば進むほど人間の気持ちはその方向に行くような気がする。

郷愁や故郷といえば最近私は1歳の息子と週末にCDで童謡を聴きながら遊んでいる。息子も童謡だけではなく、家族に付き合わされてクラシックも聴くし、ラップだってロックだって聴くときもある。でも童謡を聴いているときが一番息子は笑顔になるし、はしゃぐ。うちの息子だけかもしれないがやはり童謡は子供の心を育てる魅力があるのだろう。(クラシックの時も似たような感じになるがどちらかと言うとまったりになる)子供が生まれるまで童謡なんて全く聴かなかったが、子供と聴いているとその歌詞の素晴らしさに、感激してしまった。

例えば有名な「夏は来ぬ」というのがあるが「うの花のにおう垣根に ほととぎす早もきなきて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ」 「五月雨のそそぐ山田に 早乙女が裳裾(もすそ)ぬらして 玉苗ううる 夏は来ぬ」こんなきれいな歌詞の歌が最近出ているだろうか。こんな表現を書けるようになったらどんなに美しいだろうか。都心に住む私にはこのような光景を息子にすぐ見せれない事も悔しい。

ブログにも書いたが先日、麻布十番にアメリカ人の女性が経営してる日本の刺し子や藍染の商品を販売している店があるのだが、かれこれ30年も営業しているらしい。アメリカのブッシュ大統領夫人も数年前に買い物した店としても話題になった。外国から来た観光客が日本らしいものをと買いに来たり、国内に住む外国人がインテリアとして買いに来たりしているが、驚いたのは日本人のお客が案外多いことだ。 「ここじゃないと買えない日本文化があるんですよ」とあるお客は苦笑しながら言っていた。

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日本の良さや文化を私たちから伝えていかなければいけないのに外国人の方が大切に考えていることに私は危機感を持った。背の高いビルやかっこいいファッションや外国人も顔負けのライフスタイルがいいと思っているのは国内にいる私達だけで、外国人にとって見れば山や田畑、農家、きれいな小川、情緒ある町並み、が彼らの求めている「日本」ではないのか。しかも都心に住む私達も休暇をつかって好んでこのような場所に行くのは「故郷」を求めているのではないだろうか。フランスから帰ってきて新潟上空は山や緑が多く、成田周辺はまるでグレーの積み木が並んでいるように見えて私は悲しくなった。

木綿ふとんが決してなくならないのは山や田畑がなくならないのと同じように人々にちとっては「故郷」の一部なのかもしれない。だからこそ私は商売だけではなく「日本の伝統工芸品」としてずっと先まで守り続けたいと思う。童謡だって子供が歌わなくなったらあまりにも切ないし、木綿ふとんが世の中から全くなくなったらきっと悲しむ人も多いと思う。 だから文明を進める人と文化を守る人がバランス良くいればきっと私達の心も和やかになると思う・・。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年2月に執筆されたものです

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