九代目のひとりごと

13.日本で初めて見たブロードウェイミュージカル 本場アメリカの最高の舞台に足が震えた

梅雨が明け、猛暑のスタートとなった7月初旬。私は公開前から話題になっていたミュージカルを観に行った。
「42ND STREET」(フォーティセカンドストリート) と題したミュージカルなのだが、これがまた大変な盛り上がりだった。公演が終わり、幕が下りてもスタンディングオベーションは終わらず誰も帰ろうとしない。学生時代によく観に行ったプロレスで、名勝負があった後、余韻に浸る観客がなかなか帰らなくてリングアナウンサーから「本日の試合は終了しました」と何回も急かされる事があったが、あの時の光景がふと思い出された。
最初から最後まで地鳴りのようなタップダンスの連続。歌も芝居も、コスチュームや照明までも、全てがダイナミックだった。観客はこの公演に心酔しきっていた。

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「42ND~」は1933年にアメリカで同名の映画があり1980年8月にブロードウェイで舞台化されたのが始まりだという。ストーリーを簡単に説明すると、「1933年、アメリカは29年から続いていた大恐慌の影響で国内中が不況で苦しんでいた。そんな中、ブロードウェイでは明日のスターを目指した若き青年、少女が舞台の出演を目指したオーディションが行われていた。オーディションが終了したころ、小さい町からやってきた一人の少女がオーディションに遅れ、途中参加をお願いするが舞台監督に断られる。しかしその少女が、その場にいた新人俳優に口説かれ、遊び半分に歌を歌ったところ、周囲が彼女の歌と踊りの才能に驚く・・最初は否定的だった舞台監督も次第に彼女の才能を認めるようになり、クライマックスは公演の主役である大物女優が事故により骨折をし、その代役を務めた少女が舞台を大成功に収め、代役の若き才能を嫉妬していたこの大物女優からも最後は認められる・・」といういかにもアメリカンドリームのストーリーだ。

我々観客にも先の展開が読めるような単純明快な内容とはいえ、そのシーンひとつひとつの表現、演出に飽きることはなかった。例えば、ストーリーの中で公演が中止になるシーンがあったのだが、舞台監督の俳優が「今日お越しのお客様、主役が骨折をしてしまい公演は中止になりました。チケットは出口にて払い戻します」といって照明が消えたと思ったら、何と我々観客が本当に休憩に入るのだ。こういった演出に観客は皆爆笑していた。

そしてやはり圧巻はタップダンスである。タップを大人数でやっているにもかかわらず、誰一人ずれることなく、それこそ足並み揃えて物凄い勢いで踊り、次の瞬間には何事もなかったかの様にシーンと静まりかえる。その瞬間、観客は我先にと拍手喝采だ。

日本での舞台に立つために、何百人、何千人がこのオーディションを受け、最終では30人ほどが残り主役が決まっていったらしい。今回の主役の少女役だったセダ・ジョーンズという女優も、ストーリーと同じように厳しいオーディションで勝ち残っていったという。セダ・ジョーンズはこれまたストーリーと同じで、初期のオーディションからすでに輝く存在だったらしい。まさに物語と現実がほとんど同じなのだから舞台に迫力があったのも当然だろう。
私達日本人も素直に楽しめるのは、当時のアメリカ恐慌の中で希望の光を与えたこの作品が、不安定な現在の日本の状況と多少とも似ている部分があり、観ていた観客もタップの技だけでなく、単純明快なハッピーエンドに、ある意味勇気を与えられたのではないかと思う。

最後は出演した役者達だけでなく舞台下にいた指揮者とオーケストラにも惜しみない拍手があった。(余談だが、指揮者がなかなかハンサムな顔をしていたのでこちらも俳優達に劣らぬ位、女性達からはキャーキャー言われていた。)

そういうわけで、この日はなかなか心地よい夜を過ごせた。本当は感動のあまり楽屋出口で待機したいぐらいの気持ちであったが家内に冷笑されそうだったのでやめておいた。 帰宅後、購入したパンフレットを眺めていると、出演者のプロフィールがあり、彼らののほとんどが、「両親や我が妻に愛と感謝」みたいなコメントを書いていた。国内のパンフレットであまりこういった表現は見たことがない。アメリカという国はとかくあれこれ批判される国だが堂々と「家族愛」を語れる強さは日本も学ぶべき点ではないだろうか。  というわけで・・・私も、感謝・・・かな。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2004年7月に執筆されたものです

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