おたふくわた復活プロジェクト

12.タケダふとんセンター「武田製綿」とおたふくわた

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内部の綿の様子が見られます

埼玉の「JR大宮駅」から車で40分、比企郡という山のふもとにタケダふとんセンター「武田製綿」があります。緑が多い、のどかなこの場所で武田社長はご子息を含む若い作業員の皆さんを熱心に指導しながら綿を作っています。 実は当社が寝具を営んでいた頃、上尾に自社工場があったのですが、打ち直しなどの量も多かった為に協力工場が必要でした。武田製綿さんとはその頃からのお付き合いです。 現在ではいくつかの卸問屋に頼まれたブレンドでそれぞれのオリジナルブランド名をつけて玉綿を主に作っています。道路を歩いているとかすかに聞こえてくるガシャンガシャンという音を頼りに私は工場へ向かいました。そして工場のドアを開けると沢山の機械の中で皆さん懸命に綿を作っていました。

 

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綿を折りたたんで完成です

武田社長は当社の協力工場としての関係がなくなった後は打ち直しだけではなく玉綿を作ろうと機械や工程を徹底的に見直しました。その時ハニーファイバーの元従業員で現在綿花商として活躍されている方が武田社長に綿の作り方や機械の見直しについて連日アドバイスをし、今に至ったそうです。この方は今でもよくこの工場を訪れているそうです。   現に掛蒲団によく使われる「メキシコ綿」は繊維が細く長いため、あまり機械にかけすぎると傷みやすいので、廻し切り機という工程を抜きダクトを通って次の機械にいくなどの工夫がされています。このダクトには綿がきちんと通過しているかどうか見れるよう透明状の小さな窓があります。また通常の製綿工場よりもカード機を多く使っているのでなめらかな綿を作ることも出来ます。

綿を折りたたんで完成です 「専門店さんの中でもおたふくわたを良くご存知な方が多いのでそのお客様を裏切らないように品質の良い綿を作ることを心がけています。」と武田社長は流れていく綿を見ながらおっしゃいました。 綿の品質を更にあげていこうとする武田社長の熱意を見ただけでも私は工場に来た甲斐があると思いました。決して大きい工場ではないのですが、玉綿を作るのに充分な機械は揃っており、また綿にくっついている小さい塵や葉ごみなどを落とせるクリーナーもありました。製綿だけではなく、蒲団を丸洗いする洗濯機や乾燥機などもありましたし、クッション用の機械や自動的に綿を蒲団中に入れる機械などもあります。 武田製綿さんはこのように様々な設備が整っており、そのため硬い・やわらかいなど目的に合わせた綿を作ることができます。まさに「贅沢に綿を作っている」綿工場という印象です。

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これがインド産の綿俵です。

「ハニーさんの協力工場時代は打ち直しを主にしていたので、ここまで綿にこだわった機械は揃えていなかった。その後、ハニーさんの元従業員の方や専門店の方のアドバイスのおかげで皆さんの前に出せる立派な玉綿が出来上がったと思います。私の信条はとにかく丁寧に作ること、これが一番だと思います。」と武田社長はおっしゃいます。 工場を一旦出て向かい側の倉庫に行く途中「早くここから出してくれ」と言わんばかりの綿が出ているインド綿俵を見つけました。「国によって梱包が全く違うのは分かるんだけど、同じ国の物なのに梱包が全然違う時があるからねえ」と武田社長は苦笑していました。 これがインド産の綿俵です。 ちなみにこの綿俵は国によって重さが違います。大きいものではエジプト綿の約330キロから小さいものでは中国の約85キロまでとなっています。 写真のインド綿は約170キロです。  

後日私は専門店さんの協力で製品化した武田製綿の玉綿を手に入れることができました。 素人目でも分かるようなふっくらとした綿で武田社長が話されたまさに「丁寧な」綿だと思いました。後日、会議で東京にいらした名古屋の丹羽氏に無理に時間を作ってもらい、この綿の一部を持っていき見てもらいました。丹羽氏は目をつぶりゆっくりとその綿を触り、背広の内側から小型の顕微鏡を取り出して覗くと「ほぉ、なかなかいいですね。この綿」とおっしゃいました。自分で作ったわけでもないのに私は無性に嬉しくなりました。 武田社長という方は多くを語らない、どちらかというと無口に近いタイプでしたが、こうした品質の高い製品作りをしていることに私は感動し、やっと「信頼できる工場を見つけた」という想いがしたのです。

次回は渋谷のど真ん中にいた超頑固職人・中島氏について書きます。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2002年7月に執筆されたものです

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