九代目言聞録

4.「おたふくわたはせんべいふとんです」 ~誰が何と言おうと僕は綿100%でこれからもふとんを続けていく~

なぜ私は綿100%にこだわるのか・・理由は簡単である
 突然だが僕の家内はいつも、「おたふくわたはせんべいふとんでございます」と僕をからかう。家内の実家は老舗の呉服屋さんなのだが代々、綿のふとんで寝ている。だから綿のふとんについては僕らの世代の中でも詳しいしこだわりがある。彼女が言うには昔実家にあった綿ふとんはもの凄くふっくらしていてふわふわのふとんだったという。綿ふとんというとその印象が強いらしい。
 それに比べて当社のふとんはすぐぺちゃんこになると僕に話す。僕はそれに対していつも「君の実家のふとんはポリエステルが入っているのではないか」と反論した。だが家内の実家に古くからあるふとんは年数から言ってポリエステルが入っていたとは考えにくい。
そのふわふわしていた実物を見たかったが今となってはそれを確認することは出来ない。
 なぜ私は綿100%にこだわるのか・・理由は簡単である。昔のふとんは「綿100%」だったからだ。江戸時代から続く伝統の「綿ふとん」を実現していくのが僕の考えだ。
確かに綿100%というのは綿花をさわっても分かるようにさわっているうちにへたってくる。日に干せば回復はするが例えマメに干していても復元力自体は徐々になくなってくる。それが天然というものである。こんな不便なものは現代に合っていないという人もいる。
確かに天然というのは色々面倒くさい。ふとんは日に干さなきゃいけないし、シャツなどはアイロンをかけないとすぐにシワになるし、着物で使われる木綿織物も洗い方によってはかなり縮むのは有名だ。しかしそれ以上縮むということはないし、その風合いは絹にはない親しみある心地を味わえる。綿100%のワイシャツやブラウスは何回も使っているうちに生地がつるつるになってきてクリーニングなどで糊付けしない限り新品のようなパリッとした感触はなくなるが、それは良く言えば肌に馴染んでくるという事だ。

kenbunroku04_01 ←左が1年半使用した弊社の綿ふとん右が作りたてです

kenbunroku04_02

僕は2枚敷にして寝ている
 綿ふとんは最初のうちは干しているうちにふっくらしてきてその現象に驚く人もいるが、干す習慣を少しでもサボるとあっという間にカサが出なくなる。だがそれ以上へたる事はないし換言すれば「綿が落ち着いて体にフィットする」ということだ。
  僕は実際、自宅で6.3キロと4.5キロのふとんを2枚敷きにして寝ているがあまり日には干していない。だがその両方が程よくぺちゃんこになり綿が落ち着き僕はかなり心地よく眠れる。この感覚を文章にして伝えるのは難しい。
催事などでふとんを展示しているときはふっくらしていて1枚でも十分な寝心地を味わえる雰囲気が出ている。実際、カサの回復力がなくなっても綿ふとんの落ち着いたぺちゃんこ感と程よい硬さの畳の相性で十分な寝心地は味わえるという人も多い。だが底つき感を覚える人も事実多くいる。
昨今、綿のふとんといえば多少ポリエステルを混ぜて作る人が多い。これは決して間違えてはいない。なぜならポリエステルが入っているふとんはコシがあるしカサ高はいつまでも長続きするので日に干す頻度が少なくてもあまりへたる心配はない。天然100%より面倒じゃない。天然は何度も言うがマメに干してもカサがなくなってくる。だからポリエステルが入っているふとんは「お客様思い」ともいえる。

本来はいじってはいけない作品だったと僕は確信する
 だが僕は意地でも綿100%にこだわる。ポリエステルを混ぜることは間違えではないが、江戸時代にはそのような技術はなかった。だから勝手な考えかもしれないが畳で寝ているお客様には僕はなるべく2枚敷きを勧めることにしている。江戸時代の資料などでも2枚敷きや3枚敷きで寝ている姿を見かける。(といっても身分の上の人の睡眠環境だが)、特に吉原の遊女などの図鑑を見ていると3枚敷や5枚敷の絵が多いが当時は遊女の格はふとんの枚数で表していたぐらいだ。確かに裕福な貴族が遊女やそのお付などと背の高いふとんの上で花札などの遊びに耽っている姿も多い。
 畳、着物、茶道、書道などの日本の伝統品、伝統文化は現在に至るまで何一つ技術が変わっていない。つまり当時から完成度の高いものとして確立されていたのだ。だから先代の人が開発してきた中に「綿ふとん」があるわけで本来はいじる必要がない作品だったと僕は確信する。茶道も現代に合わせて時間を短縮したものにすればたちまちその「価値」は崩れていく。
 綿100%でどれだけ寿命を持たせることができるかということは果てしない技術目標だ。しかし僕は綿100%以外はするつもりは全くない。いつまでも「せんべいふとん」でも構わないと思っている。それぐらい僕は綿マニアでいるつもりだ。

次回は「パン屋さんと肉屋さん」について書きます。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2006年5月に執筆されたものです

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